「問いの数が増えても答えの数を増やせない問題」が増加する問題
下記記事の感想。
「どんな仕事に就くの?」「何歳くらいで結婚するの?」「いつまで働くの?」「妻の職業は?」「何歳くらいで子供が欲しい?」「育休は取るの?」「子育てはどれくらいできると思う?」「家事はどれくらいやるつもり?」「子供は何人くらい欲しい?」「そもそも働くの?」などの問いを続けざまに投げかけました。
要するに「キミはどうやって生きていきたいんだ?」「キミにとって本当に大事なものは何なんだ?」という問いです。
「『男なんだから俺が稼がなきゃ』という義務感で仕事をしていたら、仕事がうまくいかなくなったときにきっときつくなるよ。いろんな選択肢があるなかで、好き好んで自分はいまこれを選んでいるんだと言えるように、自分の選択に責任をもつことが大事」。そんな話もしました。
たしか橘玲さんが著書で紹介していたように、人間にとって「意志」は有限の資源。何かを決定するには「意志」の消費が必要で、回答を見出すべき問いの数が増えれば増えるほど「意志」が足りなくなる可能性は高い。
とすると、問いを続けざまに投げかけると起こることはどちらかと言えばネガティブで、おおよそ「何もしない」や「何もできない」を選ぶことになるんじゃないかと。
「どんな仕事に就くの?」「何歳くらいで結婚するの?」「いつまで働くの?」「妻の職業は?」「何歳くらいで子供が欲しい?」「育休は取るの?」「子育てはどれくらいできると思う?」「家事はどれくらいやるつもり?」「子供は何人くらい欲しい?」「そもそも働くの?」などの問いを続けざまに投げかけました。
これらの問いかけに「普通は○○だよね」という通念的な回答が用意されていなければ、自らの「意志」によって回答を選択する必要があるのであれば、「意志」の資源があらかじめ十全に用意できない人には選べなくなる。
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「らしさ」が与えていたのは、あるいは文化が「らしさ」を求めるのは、特別な機会に「意志」を温存することだったのかも。