『弓と禅』
友人に勧められて『弓と禅』を読んでみたらば同名異本。
と言うわけで、スティーブ・ジョブズの愛読書たる、オイゲン・ヘリゲル氏の著作をも読んでみました。
極々簡単に言うと、前者は弓による禅の深まりの記録であり、後者は弓を介した禅への接近の記録です。
率直な感想として、ヘリゲル氏の著作には外国人による日本文化論としての面白みが十二分にある(自身の誤解に対する正直な記述は、誰しもが経験するであろう&中々このように赤裸々には書けない、という意味で大変面白い)とは思いますが、中西氏の方が弓および禅の道程において遥か高みにまで達していると言わざるを得ません。
ヘリゲル氏、満足する。
中西氏、光を見て謙虚になる。
そんな感じ。
もちろん、禅も弓もやったことが無いので偉そうなことは言えませんが、これらの著作はある種の“創発”の記録として読みました。
“創発”とは何か?
「分析的な記述や理解を拒むもの。ただそれが確実にそこにあるものとして感じられるもの。」くらいの理解で良いと思います(たぶん)。
さて分析的な記述や理解を拒むものに対して、どうアプローチすればいいか。
安富歩さんのこの著作が大変参考になります。
生きるための経済学―“選択の自由”からの脱却 (NHKブックス)
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創発現象を理解するには、“住み込む”しかない。そう安富氏は書いています。
そして、師に付き、稽古に勤しむという形で住み込んだ記録としての『弓と禅』2作には、明らかに論理を越え、そこに至った者にしかわからない境地(創発)が描かれているように感じます。
禅には全然興味がなかったけれど、俄然知りたくなった。
否、そこに住み込まずしてどうするのか、と思います。